2010年12月31日金曜日

2010.12.29~30 丹沢 堀山の家 搭の岳

渋沢の駅北口出るとこんな感じで、丹沢がググッと迫ります。ちょっとビルがじゃまだなあ~ここからバスで、大倉に行きます。今日は復帰第一戦、どうなるかな~、大丈夫かな~不安
 大倉の登山センター横の蕎麦屋さん。行きたいと思いながらまだいけず。
何故か分岐で道間違えて、戻っていると、堀山の家のボッカ頼さんに遭遇
山小屋の横に祠
 左のコースを上がっていくと、鳥居が迎えてくれる。
大倉高原山の家
山の家の水場¥20美味しいです。
なだらかなトレール。ランにも最適なトレールがいっぱいあります。
コースが分岐する辺りのトレール。去年は下りで飛ばしてました。
青空に松の緑が冴えます。天気良し。
ちらりと見えるヤビツ峠辺り
堀山の家。ストーブが暖かで気さくな小屋です。今までは前を通っても中に入ることは無かったんだけど、今年は復帰第一戦なので初日はここまで。それでもよくよく見たら1000m近い。気温は既に2℃、吐く息は白い。
シルエットの富士山。隙間から丁度見える。
燃える夕日。日没後が良いよと教えてもらったが、そのとうりであった。
富士山もくっきり。
雲が燃える
なっちゃん
夕餉。おでんに、お餅に、チーズフォンデュ
今日の泊り客我々2人とたーちゃん。いつの間にか私もたーちゃんになってしまった。左からなっちゃん、ひげさん、たーちゃん、栗ちゃん。
疲れたのか、早々に倒れる栗ちゃん、後でひげさんと語り合うことに、私は早々にダウンして夢の国。
堀山の家オリジナルビール
ひげさん、ワイン飲んでます。
朝、合流したツッチーとたーちゃんと4人で花立てまで行く、お二人とはここでお別れです。
 ひげさんによると、1,000m辺りが一番良く眠れるそうな。確かに昨日は一度も(アンカ蹴飛ばしてしまい寒くて一度眼が覚めてしまったが)起きないで眠れました。めったに無いことです。
花立から上は急に天気が悪くなり雪がちらつく。
霧氷の桜道
鍋割方面も霧氷で真っ白だ。
蛭ゲ岳
丹沢山
搭の岳山頂、吹雪いて真っ白です。
尊仏山荘のアイドル「にゃー」20時間は寝てるらしい
搭ノ岳山頂
予定では大山に抜ける予定であったが、時間が遅いのと天気が悪いので、引き返すことに。途中で私の調子が悪くなり、気持ち悪くなってきたので、食事も取らずに下山。やばい、腰痛めてしまったかとびびってしまったが、下りで揺れて乗り物酔い状態になっただけみたいであった。まあ、まだまだだめって事ミタイデス。と言うわけで、鶴牧温泉で下車「陣屋」という風呂屋に行く。タオル付きで¥1050気持ち良かった。
風呂の後は本厚木に移動して「シロコロ」食べに行く。これは参考出品。混んでたので入らず。
シロコロ乗ってないけどごめんなさい、安くて美味しかったです(シロコロ先に食べてしまった)

2010年12月2日木曜日

2010.11.19 初めての手術


ある日の昼食、味付けはしっかりしている。
一つ残った柿
筑波山の方からのぼる朝日
 今年は色々起きる年だ。順調に山に行けるかなと思っていたけど、年の瀬になって入院手術となってしまった。
 10月の半ば、突然右足が痺れと激痛。近くの接骨院に行ったけど治らず、整形外科に行くことにした。MRIとって調べた結果は、椎間板ヘルニアに因る坐骨神経痛。右足の痺れは、骨の内側に突起ができていてそれが神経を圧迫していて、麻痺が起きているとの事。一月くらい薬のんで治療した結果大分痛みは引いたけど、麻痺が抜けない。このまま放置しても、突起が無くなる可能性も無いし、放置する期間が長くなればそれだけ、回復も遅くなると言うことなので、手術を決意。
 主治医の簡単な手術ですから、と言う言葉に、半ば騙されいざ手術。19日の午後入院して、次の日20日の朝には手術。病室の隣のベットには同じような手術の人が半日早く手術。その様子を見ていると、かなりダメージが大きそうだ。一晩中呻いている。こりゃ失敗したかなと思い始めたけどもう遅い。着替えて、筋肉注射を打ち、スチームみたいのを浴びていると直に処置室に搬送。麻酔医師の体重を確認する声と、「何とか間とか注入!」の声の後何も分からなくなり、次に気が付いたときは、「Tさ~ん、分かりますか~?」という看護士さんの明るい声だった。
 動かしますよ~と言われなすがままであったが、痛い痛いとにかく痛い。なんとかベットに寝かされたが、傷口が背中なので痛い。動けない。カテーテルが痒い。暫く耐えたがあきらめて座薬を入れてもらう。やあっと、うとうとしたがまた痛みで目が覚める。痛い痛い、暫く耐えるがまた座薬。夜中に目が覚めて、また痛い痛い。今度は少しましなので、朝まで寝たり起きたりで耐える。耐えなくてもいいんですよと言われたが、薬が効かなくなるほうがいやなので、我慢した。朝が来て、何とか痛みが和らいで、朝ごはん、少しベットを起こしてもらったけど、またこれが痛いなんとか起こしてもらい、食事。パンだったのでチョット嬉しかった。
 主治医の」はなしだと、次の日から歩けるよとの話であったが、これも話半分で次の日から歩ける人もまれにいるで、通常は3日目から歩けるで、わたしもほぼ2日寝たきりでであった。22日の夜には何とか、カテーテルを外して貰い何とか自力でトイレに行った。へっぴり腰での歩行であった。「こんなんで大丈夫かいな」浮かんできたのはこんな思いであった。
 次の日11月23日午後散歩に出てみた」。歩くのは」かまわないと言うので、院内はつまらないので、病院の周りを歩いてみた。腰も傷跡も痛いし、右足の麻痺もそんなに消えていない。もちろん、直に無くなるものではないことは解っているのだが、焦りは禁じえない。その日は友人がお見舞いに来てくれた。彼は、手術には否定的であったが、話を聞いて納得していた。「医者は、簡単に言うんだよ」といってくれたが、苦笑いしか出ない。
 1週間で退院できると言う、先生の話であったが、良く効いてみたら、主治医の先生は、金曜日にしか来ないというし、金曜日までしか休みにしていないし、まだ、ドレインも抜けていないので、当然金曜日の退院はありえない。看護士に術後の予定を聞いてみてもはっきりしないし、お手上げなので、会社には早くても土曜日か、月曜日に退院になりますと言うことで、勘弁してもらう。
 水曜日、木曜日と朝起きて、飯食って、体拭いて(毎朝、暖かいタオルを持ってきてくれる)、体温計り、血圧計り、点滴して午前中が終わる。昼飯食って暫く暇なので散歩に出かける。まだまだ腰が痛いので、ゆっくりゆっくり歩く。近所の公園を歩く。空も青いし、イチョウも良い色だ。スタジアムになっているので、その回りを歩く。主治医が来るまで何も解らないので、待つしかない。
 11月26日予定では退院のつもりだたが、ありそうに無い。昼前に主治医の先生が来た(月、金たまに土)、看護士の話ではドレインは抜いてくれるというので、わくわくしながらまっていると、隣のOさん(わたしの1日前に手術)のベッドに行き、どうですか?と聞いている。問題無く、抜糸ドレイン除去。来週なら何時退院しても良いですよと言っている。おー、私も良いのか?次に私のところに先生が来た。相変わらずサッソウと「Tさん、どうですか?」私は、順調みたいですよ、と答えると、じゃあ、Tさんも、抜糸しますかと、言うので、お願いします。と私。「本当は明日なんだけどね~、順調だから抜いちゃいましょう。」やった~「傷口も、問題無し」「Tさんも来週なら何時退院しても良いですよう」「月曜日でも良いですか?」「かまいませんよ。」
 おー、やっと退院だ。実感はわかないが、やはり嬉しい。土曜日で点滴も終わり、内服の抗生剤に変る。日曜日には、向かいのベットのKさんが退院した。一度手術したのだが予後が悪くて再入院。1%の確率で起きる事のある骨の感染症だそうで、点滴治療していたのだがやっと良くなったみたいで退院。車で来て入院していたので、駐車場ウまで見送りに行く。Kさんも山が好きな方で、良くなったら一緒に登りましょうねと別れた。
 月曜日は、入浴の日だったので、どうしますかと聞かれたのでせっかくだから入っていくことにする。隣のベットのOさんと一緒に3階のお風呂に行き、10日ぶりのシャワーを浴びた。背中とか頭とかを看護士さんが洗ってくれる。若い子もいるけど、恥ずかしさは無い、手術直後の方がよっぽど恥ずかしいからだ。
 昼食が出て、片付けて、清算を済ませ、そのまま帰るつもりであったが、先生が最後に診に来てくれるというので、それを待つ。最初の話だと家まで送迎してくれると言う話であったが都合が付かないみたいなのでバスで帰ることになる、かなり辺鄙なとこなので1時間に2本しかない。結局先生が来たのが、3時過ぎだったので、大分遅くなってしまった。
 先生によれば1週間は重いもの持ってはだめ。1月は無理してはだめと言う。えー、それじゃ退院しても仕事にならんやん。と言ってもどうにもならないので、言いつけを守るしかない。
 10日間だったけどお世話になった病院を後にしてバス停に向かう。いつもは軽いはずのザックが重くて、直に下してしまう。バスは暫く来ないので、バス停の隣の饅頭屋で団子と芋羊羹を買う。羊羹はお土産で、団子はその場で食べてしまった。何故か少し罪悪感を感じながらも思わず「美味い」と言ってしまう。
 結局、私の病気は黄色靭帯骨化症というものらしく、骨化がまれに豆粒のように丸くなる事があるらしい。ヘルニア程度はたいした事無かったのだが、両側から圧迫したので激しい痛みと痺れが出たようだ。色々悩んだけど、結果的には放置しても治る病気では無かったとといウ事で、手術して良かったと言うことに、なるのだろうか。